持論を持つ。
自分の意見というか、信念を持つということです。
そのためには何かを盲目的に信じるのではなく、客観的な事実をもとにして、自分で考える癖をつけることが大切です。
作家の森博嗣さんの本
- 『科学的とはどういう意味か』
をご紹介します。
- 日常で物事を考えるときに、自分で考えずに信じる・理解したつもりになるということは「思考停止」状態です。
- そうではなく、客観的な根拠や事実をもとにして、自分で物事を考えて、持論を持つ
ことは大事なことです。
今の時代に求められる人間としての考える力を身に着けることができます。
- 考える材料となるものを吟味するときに、何を利用してもいいとは思いますが、科学を利用すると信頼性が増して便利です。
- なんといっても科学は、検証された客観的な事実が積み重なってできたものだからです。
そして科学を使って、自分で考える力を身に着けることは、人生が興味深くて楽しいものになるに違いありません。
著者のプロフィール
著者:森博嗣(もりひろし)
小説家、工学博士。
名古屋大学工学部建築学科卒。
元名古屋大学助教授。
大学で働きながら、庭園鉄道(庭に小型の鉄道を走らせる)のお金を作るために小説を書き始めたという、あくまでも仕事や小説は鉄道を作るためという目的だったようです。
受賞歴(Wikipediaより)
- 1989年 日本建築学会奨励賞
- 1990年 日本コンクリート工学協会賞
- 1988年 セメント協会論文賞
- 1990年 日本材料学会論文賞
- 1989年 日本建築学会東海賞
と仕事上もたくさんの賞をもらいつつ、350冊以上の小説をはじめとした著書があります。
科学者として長年大学で働いてきた著者が書いた
- 「科学的とはどういう意味か」
は、まさに自分自身が科学者という立場で書かれた本です。
普段科学と接して、科学を利用してきた著者ならではの意見やアイディアを知るいい機会になります。
この他に
テレビドラマでも、「すべてがFになる」というフジテレビの武井咲さん、綾野剛さんが主演するドラマの原作も書いています。
本の概要
ポイント
- 盲目的に理解しているつもりになっていることは、間違いのもとであり時として危険(思考停止は危険)。
- 自分で考える力をもつ(持論を持つ必要性)。
- そして自分で考えるときに科学の力を利用する。
がこの本の趣旨だと思っています。
わたしたちはあまり考えずに、物事を理解したつもりになりがちです。
そしてその理解している内容を基に、わたしたちの身の回りに起こることを判断し行動します。
ここで注意しないといけないのはわたしたちが考えている「理解」は、本当には理解していない場合が多いということです。
森博嗣さんの著書「集中力はいらない」
- 「集中する」ことは、「よいこと」のように世間では理解されているが本当にそれは正しいのか?
がテーマの本です。
盲目的に
- 集中すること=よいこと、必要なこと
と考えてしまいます。
でも、「集中する」ということは
- 一つのことを機械的に取り組む能力
- 一つのことに取り組み一種の視野狭窄状態であり、周りをみて総合的に判断しにくくなっていることが多い
そのような作業はロボットやAIが得意な分野。
むしろ
- 人間らしく(人間にこそできる)、「集中力」の反対の「分散・散漫する力」を発揮して、
- 物事を多面的に考え
- アイディアや課題を見つけ出す
ことこそ、人間であるわたしたちには必要ではないかという本でした。
実際にアイディアは、物事に集中している時よりも風呂に入ったり、電車に乗っていたりしているときの方が思い浮かぶものです。
-
【人間力】人間だから集中しません!『集中力はいらない』【書評#20】
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「思考停止」は危険
- 物事をあまり考えずにいること
- なんとなく理解しているつもりになっていること
を、この本では「思考停止」と呼んでいます。
そしてそのなんとなくの理解をもとに、物事を判断するのは時として危険です。
例えば
この本が出版された東日本大震災時代の例として、
- 「津波」は、私たちが一般的に想像するような波ではありません。どちらかというと超!高潮です。もし津波を、台風の時のような波と「なんとなく」過小評価してしまうと命を失ってしまいます。
- 震災後の原発事故による被ばくの問題が連日テレビのニュースで放映され、「なんとなく」不安になります。放射線量の数値のみを聞いて一喜一憂してしまい、その数値が意味するところを捉えていないことが多い。
思考停止にならずに科学的に考えること
他の人や後世の人が同じように作業しても再現できるような、事実を積み上げていくのが科学。
わたしたちの普段の生活でも
なんとなく物事を理解したり盲目的に信じるのではなく、自分自身でも調べてみて持論を持つということが大事なのでしょうね。
その調べる手段として科学を使ったり科学に頼ったりするのはより信頼できる方法かもしれません。
勉強になったポイント
- 物事に対して持論を持つ。
- そしてその持論を持つためには科学の力を利用して自分で判断する。
ということは、わたしも人間として大事なことだと思っています。
この本を読むうえで注意すべき点が2つあります。
1つは、東日本大震災の直後の出版ということです。
- 当時は津波や津波による被害、原発事故による被曝の話題が、連日テレビ番組などで大きく報道されている時代です。
- その中で著者が盲目的に物事を判断する危険性を書いたのが「科学とはどういう意味か」です。
もう1つは、この本には、賛否両論の意見がたくさん出そうな著者の考えが書いてあるということです。
- 読んだ人が異和感を感じた項目については、この本に書いてあることはあくまでも著者の意見としてとらえるべきです。
- 盲目的に著者の意見を信じるというわけではなく、「自分はどう思うか」と考えつつ読むのがいいのではないかと思います。
これらの注意点を知ったうえで読むと、
科学的に考えるとはどういうことかについては、とても分かりやすく知ることができました。
【わたしの考え】何事も科学的に考えるのは難しい:大事なことは科学的に考えてみる
科学的に考える癖を持っておくことは賛成です。
でもわたしたちの時間は限られています。
- 興味があることや本質的に大事だと思うことについては、科学的に取り組む。
- それ以外のことには、非科学的にぼんやりと残してしまう。
ということでもいいと思っています。
例えば計算するときに電卓を使います。
- 電卓は簡単に結果を算出してくれる便利な機械です。
- なぜ計算機が正しい答えを出してくれるのかまで科学的に調べる必要性や重要性は低いでしょう。
それなら、
- いわゆるエッセンシャル思考をもって、重要なところを選んで科学的に考えるのがいいのだろうと思っています。
- そして普段の生活でわたしたちはなんとなく理解しているつもりになりがちということを認めることも大事。
この著者の他の作品
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さいごに
森博嗣さんの本『科学的とはどういう意味か』をご紹介しました。
- 盲目的に理解したつもりにならずに
- 自分で考えて持論を持つ
- 考える手段として(過去に検証を重ねて積み上げられてきた)科学を利用する
という一人ひとりの姿勢は、大事にしたいものです。
そうすることで、個性の集まりである今の社会をよりよくしていくことにつながるのだと思っています。
この本を読んで異和感を持つことも多いと思いますが、わたしたちが「なんとなく理解」(思考停止)していることが多いことを再認識することができます。
この記事がみなさんに少しでもお役に立てるとうれしいです。