「尊敬できる先生(指導者)をみつけなさい」
誤解のないように言っておきますが、それまでの先生でひどい目にあったとか、そんなことは全然ありません。
当時はわかりませんでしたが、
尊敬できる指導者に巡り合えるかは重要ですね。
わたしの場合は、実際に優れた(とわたしが思っている)指導者を見つけたのは働き始めて数年後のことでした。
- 当時は、平日と土曜日も夜遅くまで仕事をしていました。
- そんな中に何も言わずに平日遅くや・土曜日も付き合ってもらって、「調子はどう?」とわざわざ声をかけてくれたり、アドバイスをもらったり。
- それでいて、経験や実績は当然はるかに雲の上の存在の大先輩でした。
この、わたしが人生の初心者の時にうけた恩を考えると、その先輩には今でも頭が上がりません。
尊敬できる先輩を持つことはどんな意味があるのでしょうか?
先輩には、もちろん技術的あるいは専門的に優れた人という一面はあるのかもしれません。
- でも技術や専門性は時代とともに簡単に変化します。
- 変化に柔軟に対応し、新しい知識を吸収するのは若い世代の方が得意です。
- そう考えると、技術的・専門的に先輩に追いつき追い越すのはよくあること。
つまり尊敬できる先輩に優れた技術や専門性があっても、長い目でみるとそれはあくまでも、尊敬する一面に過ぎないのだろうと思います。
それよりも、尊敬できる先輩の条件は、
- 人格的に優れた人
- 考え方に共感できる人
ではないかと思っています。
尊敬できる先輩がいると、無意識に先輩の真似をします。
- こんな時に先輩はこうしていたな
- 先輩の考えだと、このときにはこんな風に行動していたな
- こんな場合には、先輩だったらどんな風に考え、行動していただろうか?
と何かに迷ったときに考えます。
つまり尊敬できる先輩を持つということは
- 自分とは違った目線
- 尊敬する・共感する先輩の目線
で、物事を見ることができるようになるということかもしれません。
ただ、最初は先輩の真似をしていたとしても、やっぱり先輩と自分は決して全く同じ人格や個性ではありません。
- どう頑張っても先輩と同じにはなりませんし、なれません。
それに時代とともに自分や世間の価値観は変わります。
- 過去に知っている先輩に追いつき追い越せというのもどうかと思いますし、
- 過去の固定観念にとらわれずに、常に試行錯誤して、自分なりの答えを探していくことになります。
そんな中で、尊敬できる先輩(師)を持っていれば、自分自身の目線とは違った目線で物事をみて、考えることができるようになるというのは大きなアドバンテージだと思っています。
つまり自分の身近で、でも自分とは違う(でも尊敬・共感できる)考え方、生き方を学ぶことにつながるから。
技術や専門性を追求する機会は多いです。
対照的に人間性や考え方を学ぶというのは意外と難しく、答えが一つではありませんし、答えがあるかさえわかりません。
そんな時に尊敬できる先輩(師)を持てたら、人間性や考え方を身近に学ぶという点で、やっぱり人生の中で貴重な財産となります。
人生は、試行錯誤の生活が一生続くような気がします。
でもそれが生きているということ。
尊敬できる先輩(師)を持つとますます自分の「大きな」引き出しが増えますよ。
そしてそんな引き出しをもってあれこれ考えると、ますます楽しくなるんだろうな、と思っています。