春になり、庭に今年もバラが咲きました。
この時期に花を咲かせるために、2月に剪定するとともに、定期的に肥料をやり、枯れないように日々の水やりが必要です。
そう、バラを咲かせるためには、手間・暇をかけます。
そうやって手間暇かけて育てたバラが咲くと、うれしさも一入(ひとしお)です。
ところでバラが欲しいだけなら花屋に行けば、いとも簡単に手に入れられます。
- 自分でバラを育てて花を咲かせるよりも、店で買ったほうがきれいなバラを買えるし、ちょっとのお金を払えばいいだけです。
- 単純に効率面を考えると、買ったほうが簡単で楽です。
- 日々の水やりの手間を考えると、その価格も十分に納得できるし、むしろ安いと思います。
それなら、どうしてわたしはバラを育てているのかと不思議に感じました。
確かになぜバラを育てているのかというと、
バラとしての価値をゲットしたいという考えは、ないこともないけれども、考えてみたらそんなに大きくありません。
- 水をやり、肥料をやり・・・と花が咲くのを期待して育てた
- これまでのちょっとしたバラの変化をみてあれこれ思案した
- 手間暇かけて、咲かせた
- 毎年この時期になると咲いてくれる
という、単なるモノを得るというよりも、育てて成長を見守ってきた、その結果今年も咲いてくれたという感情が加わるのが、花屋で買うのとは大きな違いなのでしょう。
つまりそういった要素は自己満足なのだと思います。
小さいかもしれないけれども、そしてほかの人にはわからないかもしれないけれども。
その幸せな気持ちを人生で多く感じることができれば、それだけでわたしたちの人生のますます幸せになるのでしょう。
このように、他の人にとってはわからない・わかりにくい価値である自己満足であっても、そして、そんな自己満足こそが増えれば増えるほど、人生は楽しいのかもしれません。
自己満足できるものを増やしたほうが幸せになれるんですよ、きっと。
そこには単純にお金で換算できない、感情的な価値が生まれているから。
-
子供の教育のための引っ越しは必要でしょうか?
続きを見る
-
IMG_3056 (2)-1
続きを見る
-
小さいときの経験は、今のうちに親に聞いておこう
続きを見る