個人磨きしている人は多いです。
- 英会話スクール
- 料理教室
- セミナー
に通ったり。
そうでなくても手短なところで言えば、ビジネス書を読んだりする方は多いと思います。
というのも、今の世の中決して安心できないでしょ。
- 就職しても将来ずっと安定している職場ではないかもしれないし、
- 物価が上がって、わたしたちの生活もままならなくなるかもしれないし、
- 老後も心配。
- できることなら今の会社を早めにやめて、もっと自由に生活したいと思っている方もいるかも。
だから冒頭に書いたように、今の時代、自分のスキルを高めて、個人の力を伸ばすことは、社会をよりよく生き抜くためにとっても大切。
個々の能力や性質を大事にする、多様性(ダイバーシティ)の時代ともいわれているし。
わたしたちの社会環境が悪くなったときなんかの、難局を切り抜けるのに重要だそうです。
メンバーがそれぞれ独自のスキルを持っていたら、変化に対応できる選択肢がぐんと増えてその集団は生き残り安くなるからだそうです。
対照的に
みんなが一様なスキルや能力をもった集団だと、変化に対して適応できるかできないかの、どっちかになるから、生き残るのは五分五分で集団としてはリスクが高いそうです。
でも仮にですよ、集団のメンバーがお互いに好き勝手な(多様な)ことを言ってたら(確かにそれは広い意味での多様性と呼んでもいいのかもしれないけれど)どうでしょうか?
まとまりがなくなり良い意味での多様性ではなくなってしまいます。
結局のところ、グループで
- 会社の経営を維持したい
- プロジェクトを成功させたい
- 近所でお互いに助け合いたい
といった「共通した背景」があってこそ、そして
- 互いに聞く耳をもつ
- お互いに信頼している
という状態があってこそ、本来の多様性の意義が出てくるんではなかろうかと思っています。
つまり共通した土台があってこその多様性。
イメージとしては、土台はお互いのキズナ(絆)であって、それがしっかりあってこそ、その上に応用・発展につながる多様性がニョキニョキと活きてくるんではなかろうか。それこそが成功する大前提。
個人のスキルは、これからますます大事になるんでしょう。
でも個人だけでは何ともならないことが多いし、何でも対応できるスーパーマンになるのは至難の業。
個人の時代であっても、一人でできることは限られているし、結局はみんな(集団)とのキズナを忘れてはいけないということだよね、と空想にふけった今日でした。
-
忘年会に行かない勇気
続きを見る
-
職場の定年後のおねーさんのスマホの進歩がすごい
続きを見る
-
浴室の床の頑固な黒ずみや汚れにはこれ!「ウルトラハード」
続きを見る